未熟である我が子を育て成長させるために必要なもの、
それは「寛厳」です。
「寛」とは「汲めどもつきぬ愛情」のことです。
何度も何度も過ちを繰り返す我が子を、それでも許し、いつの日か成長を遂げることを信じ抜く「母性的な愛情」です。
「厳」とは「愛情の裏返し。のことです。
深い愛情があるからこそ、我が子が誤った道へ進もうとするとき、断固として通さない壁となる「父性的な愛情」です。
教育・子育てにはこの「寛厳」のバランスがとても重要で、
どちらかに偏りすぎると、健全な成長を阻害してしまう一因となることもあります。
家庭内において母親が「寛」を担当したときは、父親が「厳」を担当する。
母親が「厳」を担当するときは、父親が「寛」を担当する。
片親であるならば、その時々に応じて「寛」「厳」を使い分ける。
いずれにしても家庭には「寛」も「厳」も必要なのです。
しかし最近では一部の親による「虐待」という、子どもに対する暴力が問題となり、
新聞・テレビ・SNSでよく取り上げられせいか、自らが批判されることを恐れ、今の親は我が子に優しすぎます。
「優しい」ことはもちろん良いことですが、「優しすぎる」ことは悪いことです。
あまりにも物わかりの良い親を演じているため、子どもは増長し、独りよがりな、
やたら自己主張の強い性格を形成する場合が少なくありません。
たとえ我が子が間違っていても、
「まあ、子どもには子どもの人生があるから」
などと教育を放棄することがあります。
子どもの自主性は道理にかなっていないことがよくあります。
まだ十分に社会経験も積んでいない未発達な存在なので、理にかなわないのは当たり前のことです。
それなのに我が子に立ち向かおうとしない。
「仕事が忙しい」「家事が忙しい」「自分の時間も大切にしたい」「この子とやりあうのに疲れた」と親は逃避してしまいます。
保護者の皆さん、命がけで育ててきた我が子に対して、なぜ遠慮する必要があるのでしょうか?
本人に任せるのは社会で独り立ちしてからで良いではありませんか!
我が子と接するとき、この「寛厳」を常に意識してください。
コメントを残す